進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

働くことが目的化している

高度成長期の頃はがむしゃらに働くことで生活が豊かになった。
この頃、働いていた人が言うには、みんな朝早くから夜遅くまで働いていた。
そうすることで生活がどんどん豊かになっていった。
当時は家電も無ければ、娯楽もない。
1年働くことで冷蔵庫を買ったりテレビを買ったり、洗濯機が買えたりした。一通り揃うと、次はもっといい製品を買った。より大きな冷蔵庫やテレビに代わっていった。
働くことで、毎年豊かになることが実感できた。働くことは豊かになる為の手段だったので、必死に働けた。


しかし、現代では生まれた時から生活必需品が揃っている。どの製品も昔と比べて性能が上がって安く買える世の中なので、がむしゃらに働か無くても買える。
店を見れば常にセールの文字を見かけるし、型遅れになれば安く買える。中古品も溢れている。インターネットで安く買うことも、オークションで個人売買も出来るので、少ないお金で手に入れることも可能だ。
人によっては、物をあげたい人と欲しい人をマッチングさせるサイトを利用して、タダで手に入れる。
こう考えると、がむしゃらに働いなくても、必要なものを手に入れれる。働く目的が薄くなりつつある。もしかしたら、もう無いのかもしれない。
身内に少しお金を持っている人が居れば、買ってくれる場合も有る。「誰かに買ってもらうなんて恥ずかしい」と思うかもしれないが、僕は頼れる人がいるなら頼ればいいと思う。お金が無い時は支援してもらって、今度自分がお金を持つ番になったら、誰かに支援しればいいだけの話だ。
お金が無くても生活が出来る世の中になっていると思うが、高度成長期の時並みの働きを求められる。


仕事をしていると、機会が有るたびに洗脳されて必死に働かないといけないと思い込まされる。
正社員だからと言う理由で責任感を持って働くべきだとされる。責任感を持ってしまうと、必要以上に働いてしまう。
責任感を持ってつことで給与が上がれば「自分の為に働いている」と言えるのだが、給与が上がることも無い。それどころか、働く目的を別のものにする変えられる。
仕事の目的は「顧客の為だ」とか「やりがい」と言われる。
顧客の為に働いても、労働者の利益にはならない。顧客を満足させても苦労するだけで、儲かるのは経営者だけである。
やりがいの為に頑張っても、実利を得るのは経営者のみである。やりがいの為に働いた労働者には報酬として「やりがい」と言う名の仕事が与えられるだけである。
従業員目線で見ると給与が上がらないとがむしゃらに働く意味が無い。どれだけ働いても豊かにならない。それどころか自分の時間が減るだけけである。
結果的に、働くこと自体が目的になっている。


働くことが目的になってはいけない。働くことは手段でしかない。
本来の労働は自分の生活を豊かにする為にしているに過ぎない。働くことが目的になっている人は、仕事を手段にするべきである。
自分の生活を犠牲にする働き方をしても報われないので、自分の為に働くようにしよう。
仕事をすることが目的になってはいけない。