進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

水曜日がノー残業デイ。本当なら毎日がノー残業デイでは

求人を見ていると福利厚生の欄に、週に1日のノー残業デイを設けている会社がある。これは、普段は当たり前のように残業がありますと書いているようなものだ。
週に1日のノー残業デイは、福利厚生として全く機能していないと思う。


確かに、残業が無い日を設けることで、定時後に好きなことが出来る利点があるように思える。しかし、週に1日定時であげれる日を設けることは、それ以外は当たり前のように残業があることを認めることになる。
週に1日だけしか定時で帰れないこと自体が間違えではないか。入社するときに定時まで働く代わりに報酬をもらう契約をしているはずなので、本来なら、定時で帰るのが普通である。残業がイレギュラーな存在であるはず。
定時が原則で残業が例外になるはずなのに、ノー残業デイを週に1日設けることは、週に1日が例外で週に4日が原則になると捉えてしまう。本来の原則と例外が入れ替わってしまってないかと思う。
まだ、残業は週に1日にするならわかるけど、週に1日だけ定時に帰るというのは理解できない。


今までは、残業を毎日していたので、週に1日だけ定時で帰れるようにして、そこから週に2日、3日と日にちを増やして、何年後かには毎日定時で帰れるようにしようとしているなら。
いい制度だと思えるし、毎日定時になると福利厚生として機能していると言える。
こんなふうに、しようとしている会社は無いように見える。
実際に就職してみて、会社は労働時間に関しての法律に触れさいしなければいいと思っていることを知った。実際には福利厚生の一環で仕方なくやっているだけのように見える。ノー残業デイを増やす気はないのだろう。
何年たっても、ノー残業デイは1日でそれ以外の日は当たり前の様に残業があるのだろう。


ノー残業デイがある会社の、労働時間に関する考え方は、狂っている。何度も言うが本当は、定時が原則で残業が例外である。しかし、「定時で帰りたい」と当たり前のことを言うと、おかしいことを言っているかのように扱われる。
「プライベートより仕事が優先なんて当たり前だから残業するのも当然だ」と高齢の従業員が言ってくるが、定時で帰って、好きなように時間を過ごすことが当たり前である。仕事よりプライベート優先することは、当たり前である。
労働をしていると、原則と例外を入れ替えられてしまいそうになる。仕事をするために生きているのではない、生きるために仕事をしていることを忘れてはいけない。このように労働環境では当たり前のことを、言えない不思議な空気が職場にある。
労働に関しておかしいと少しでも思うことがれば、それは間違えではない。


本来なら毎日がノー残業デイである。残業が、例外である。