進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

仕事はサボるほど得

「残業している=頑張っている」と評価する企業では、サボるほど得をする。

「残業している=頑張っている」とした価値観が未だに有る。
そのせいか、社畜的な労働者は何時間残業したかで頑張り度をアピールする。
本当にこの価値観が正しいとするとおかしなことが起こる。
必死に仕事をして定時までに100仕事をして帰宅する人が居る。一方で、毎日夜遅くまで残業して50仕事をして帰宅する人が居る。
「残業=頑張ってる」価値観に当てはめると、前者は残業していないので頑張っていないとる。後者は残業をしているので頑張っているとなる。
どう考えてもおかしいだろう。
後者には高い評価だけでなくて残業代がつくので、給与も多く支払う。少ない仕事に対して高い給与も支払う。

こんなことが起こるのかと言うと、労働者は労働力を売るのではなくて時間を売っているので、仕事の成果に関係なく給与が支給される。
仕事量ではなくて労働時間が長い方が収入が多い。
結果的に仕事量が少ないとしても、高い評価と給与を得る。本人も帰宅後にやりたいことが無ければ残業した方が得である。
労働者は多かれ少なかれ洗脳されて経営者にとって都合がいい仕事観を植え付けられている。
仕事以外に例える。
フルマラソンなら、Aさんは3時間で完走する。拘束時間が4時間だとすれば、更に1時間走る。その後は、帰る。
Bさんは、4時間かけて5km走る。その後も2時間かけて2km走る。
価値観に当てはめると、6時間走ったBさんの方が頑張っていると評価される。
時間が長い分高い報酬を受け取る。
6時間かけて7km進むには、最初から歩いて、休憩を挟みながら、寄り道をしつつ、歩けば進める距離である。
楽だし、給与も高い。周りからは頑張っていると評価も受ける。
「Aさんは3時間で完走した実績がある」と言われそうだが、仕事は従業員が成果を出したとしても全て会社のものである。
そもそも、成果は本人には関係の無い話しである。走行時間が短いAさんは、報酬も少なく。楽していると周りからも評価される。
Aさんの走り方で頑張っていると評価されるには、フルマラソンを2回完走して6時間走るしかない。そんなことすると体が持たない。
無理をして体を壊せば「自己責任だ」と叱責される。
残業=頑張っていると評価すると、成果に関係なく、ただ職場に居た時間だけが評価されてしまう。

労働者として目指すのは、Bさんの働き方である。
労働時間が評価されるなら、可能な限り楽な仕事に就いて、時間をかけてするが得である。
定時までに終わる仕事でも、ゆっくりして残業時間に持ち越す。終わったていても、成果を提出するまでに確認したフリをして残業時間を稼ぐ。
成果は出ないが、労働者は成果を出して給与を得ていない。時間を売って給与を得ているので、成果は出なくて損失は0である。
楽な働きをしているので、疲労も最低限に抑えれる。こんな働き方が高い評価を得る。残業代も着くので、定時帰宅している人より高い給与が得れる。
残業がプラス評価される職場で高い評価を得たいなら、徹底的に楽な働き方をしつつ、残業時間を延ばすが得策である。