進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

働き方改革について思うこと

働き方改革についての議論が盛んに行われている。この中でも裁量労働制により、時間給という概念に縛られない、働き方の重要視されている。
「労働時間当たりの生産性をあげる労働のやり方が時代に合った新しい高い働き方だ」と政府は宣伝するが、実際のところは、裁量労働制により残業代カットの手段として利用されるだけではないかと思う。
裁量労働制に反対する人の数は、賛成する人の数より多いという調査結果が出ている。熱心に指示しているのは経営者であって労働者ではない。
裁量労働制は、経営者のための制度になるのではないだろうか。

 

裁量労働制の理念は、良いと思っている。政府の宣伝どうりならば、仕事を早く出来る人より仕事をゆっくりしている人の方が残業代分給与が高くなったりすることが無くなる。
また、抜群の結果を出せばそれに見合った報酬を得たり休みを増やすことも可能になると思う。
会社員をしながら、自営業者の様に働く時間を決めることが出来る。このようになると、会社員でも仕事を続けやすくなる。
時間給という概念があると、仕事の量に関わらず、拘束されるし、給与も仕事量ではなく時間に応じて支払われる制度よりかは、不満が出ないやり方だと思う。


しかし、裁量労働制を採用して、時間給という概念をなぅすと、時間によってではなく仕事の成果によって報酬を決めることになるはずだ。
そうすると問題が出てくる。それは、仕事の成果を決める基準をどのようにして測れば良いのかを考えなければならない。この問題を解決してから出ないと導入はできないと思う。
脱時間給ということだけを掲げて、中身が無ければ、今の働き方から何も変わらないのではないか。


ライン作業での生産や事務作業などでは、何とか成果を決める基準を決めることができるかもしれないが。
ほとんどの仕事で成果を正確かつ公平に決めるのは困難である。
例えば、研究職では、単純に実験の回数やデーター量によって成果を決めるのは、不適切だし、まだ成果の出ていない研究に対する評価をすることも難しい。
研究の結果が出ないこともあるだろうし、基礎研究でをしていて、その研究を元に商品を作って利益をあげたとした場合の研究者の貢献度を測ることも難しい。
設計をする場合でも、図面の枚数で評価をすることは、不適切だし、図面に対して適切な評価をすることも困難だと思う。
このような、単純な仕事量を持ち出して成果を測ることは不適切である。仕事によって生み出された価値に注目してその人を評価することが、脱時間給の趣旨になる。
成果主義を取り入れるなら、仕事に対する成果を測らないといけない。
成果を測る基準が無いと、会社員が仕事で成果を出したとしても、「成果がないと」言という経営者がいて、給与が支払わないこともあるだろう。
成果といっても何を、持ち出せばいいのかわからない。妥協しながらも成果の指標を決めることが出来たとしても、次は分配方法についても考えないといけない。


会社で仕事をする場合、複数の人が協力して行うことがほとんどだと思う。
仕事で成果をあげた際に、その貢献度をどうやって一人一人の成果として決めるのだろうか。この問題も公平かつ不満がないように決めるのは難しい。
物を作ってお客さんに納めるとすると、仕事を取ってきた営業の貢献度が高いと考えられる。製品の設計をした人の貢献度が高いという見方も出来る。
実際に物を作っている人の貢献度も、お客さんに納品する人も貢献度が高いと考えられる。この全ての工程を管理したり部署をまとめた管理職の貢献が1番だという考え方もある。
実際に物を作っていない、営業や管理職の貢献度は低いという考え方も出来る。そもそも、営業が仕事を取ってこないと、ものを作ることが出来ないから、物を作っている人の貢献度が低いとも考えれる。
人によって考え方はばらばらで、成果によって報酬が決まるなら自分の貢献度が高いと主張する人も出てくるだろう。
そうなった場合に、正確かつ不満が出ないように、成果の分配をするのは、非常に難しい。


シンプルに、会社の利益の何%を報酬として決めるやり方もあるが、一見公平でわかりやすくて良い方法に思えるが、これは悪い決め方だと思う。
会社員から搾取しようとする会社だと、経費を使い込んで利益をわざと出さない所も出てくるだろう。
このやり方では、研究職のように成果がすぐに出せない人は、報酬が支払われないことも考えられる。
新規事業に関わると、すぐに利益が出ないので、お金に困っていない会社員しか関わろうとしない。
長期にわたり利益が出る仕事もわりに合わなくなる。例えば、家のローンを貸し付けた場合は、30年以上にわたり報酬を少しずつ受けることになる。
報酬を受け取り終わるまでに、定年がきてしまうことも有る。短期的に利益を出そうとして、ハイリスクな取引をする人も出るだろう。ハイリスクな取引で短期的に利益を得て後に失敗した場合はどうするのか。
今の法律では、会社員に損失を支払わせることは出来ない。
会社の利益の何%を報酬として決めるやり方も問題点がいっぱい出てくる。

 

会社であれば、上司や管理職が評価する。
成果主義を言っておきながら、気に入っている人の評価を高くしたり、残業をしている人のほうががんぱっているから定時帰宅の人より良い評価をつけることもある。
成果主義を採用しても、実際は従来と変わらない方法で評価をする事例がいっぱいでてくるだろう。
しかし、人が行う評価に仕事の成果以外の指標が含まれることは、良くあることだし、態度が良い人に良い評価をつけたい気持ちもわかる。

 

結局、仕事の成果を明確かつ校正に、不満が出ない形で測るのは不可能である。
成果主義を形だけ導入して、働き方は変わらずに仕事量が増えてしまい、労働時間が増えてしまう結果になることは予測できる。
成果主義の評価基準が曖昧な部分を利用して、低い報酬で長時間労働させる会社が出てこないか心配している。

 

裁量労働制についての議論で、脱時間給や成果主義といった聞こえのいい単語は良くきくが、成果をどのように評価するかについてはあまり聞かない気がする。
本来ならセットで話し合い、本当に導入できるものなのか検討するべきだと思う。都合の悪い部分には、目をつむって、メリットだけが主張されている。
導入した結果、労働環境が悪くなることは明らかだと思う。

 

時間給は、最善な制度ではない。しかし、時間給は、それなりに機能している。企業に残業代を払わせなければいけない状況を作り出すことで、長時間労働を抑制する効果がある。
会社員も残業代が出ることで、妥協して働くことが出来ている人もいる。
時給制を止めて成果主義を導入する前に、仕事の成果を明確かつ校正に、不満が出ない形で測る方法を決めることが重要だ。
長時間労働をどのようにして抑制するかも考えないといけない。
それらのことを曖昧にして成果主義の導入だけすると、会社員は、今以上に労働で苦しむ人が出る結果になる。
苦しんだ結果、成果があがるとも限らないと思う。