進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

新たな悲劇の始まり

先日、同僚に子供が生まれたということで、同僚宅にお邪魔させてもらいました。
お子さんは可愛かった。その場は喜びに包まれていて、僕まで幸せな気分になった。


それにしても、同僚や子供の将来に不安が出来てしまった。


子供が出来るということは、成人するまでは育てることになる。
同僚は僕と同じ職場で働いているので、給与が大体想像できる。同僚の給与で子供を養うとなると、残業をした時の月収でやっと子供を養える程の給与しかもらっていないはずだ。
給与から生活費を差し引くと手元に残らないことになる。子供が成人するまで、残業をしながら働くことになる。
この間は、仕事で怒られ、馬鹿にされ、けなされて理不尽な思いをすることがあっても仕事が辞められない。
辞めてしまうと、何十万のも税金の支払いと子供の養育費用が払えなくなる。またすぐに、転職してフルタイムで働くことになる。
子供が生まれることは、喜びであると同時に新たな悲劇の始まりでもあると思う。


悲劇は父親だけに降りかかるわけでない。


皆から祝福されて生まれてきた子供でも、その幸せが将来まで保証されているわけではない。
20年もして社会人にでもなれば、行きたくもない職場にいって上司の監視の元でやりたくもない仕事を8時間以上させられることになる。
仕事をすると仕事で怒られ、馬鹿にされ、けなされて理不尽な思いを幾度もすることが有る。
何も悪いことはせず、ただ真面目に生きているだけなのに、理不尽な思いをするなんて悲劇でしかない。
お金がないとずっと仕事をしないといけなくなる。
そう考えると、人間は生まれた時から悲劇は始まっている。人は誰しも40年の苦役を避けては通れない。


親や先生の言うととうりに普通に勉強して学校を卒業するだけでは、40年の苦役を避けることが出来ない。
成人するまでは、親が朝から晩遅くまで働いて養ってくれている。同僚の子供は執行猶予が20年あると言える。
この間に、自力でお金を稼げるように努力して、仕事をしなくても生活が出来るようになって欲しいと思う。
同僚の子供には、僕たちと同様の悲劇が繰り返されないことを願っている。