進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

成人式は選挙活動

各地で成人式が行われ、それまでとは違う大人の顔になった若者達が幸せな未来を見据え頑張っていくのですね。
僕が成人になったときは、これらの成人式は新成人になった新社会人をお祝いする場だと思っていた。
実際に成人式を見ると、新成人になった人を集めて、壇上に立って話をするのは、市長だったりする。
選挙権を持ったばかりの新成人の前で、いい話でもしておけば、市長が次の選挙に出たときに票が集めやすい。全く知らない人より、顔と名前が一致する人に票を入れる傾向がある。


社会に出た人に対してお祝いをするなら、高卒で働く人もいるので高校を卒業した時でもいいはずだ。参加する人からすると高校卒業した直後なら、地元にいる可能性が高いので参加しやすい。
それなのに敢て、20歳になったときにするのかと言うと、選挙権を持っているからだ。高校を卒業した18歳だと、選挙権が無い。選挙権を持つ2年後には市長の顔を忘れている可能性もある。
成人式は、市長の都合でしていると考えることが出来る。選挙で票を集める為にしている。
大人は自己都合でしか行動をしない。成人式は選挙活動として利用されているだけでしかない。


成人式では、市長から「大人として自覚や責任を持て」的なことを言われるかもしれなが鵜呑みにしてはいけない。真面目な人ほど言われたとうりに行動する。
残念なことに、真面目で責任が強い人程、社会では潰される事が有る。
真面目で責任感がある人は、上司の言うことを真に受けて、ミスが起きたときも自分のせいだと思い込んでいるうちに、潰れてしまう。
社会では、真面目なことが良いように言われるが、そんなことは無いと、実際に社会人になって分かった。
ここでいう、大人としての責任を持つこととは、都合よく使いえる人間になれという意味だ。


責任を持てと言っている市長も成人を迎えて長くなる人であるにも関わらず、責任回避ばかりしてる。
そんな人に責任を持てなんていわれても困る。
若者は真面目な人が多いから、なにかあった時に「自分が悪いんだ」と過剰に罪の意識を感じて潰れていく方が心配になってしまう。
潰れてしまうなら、大人としての自覚や責任は持って欲しくない。
大人としての自覚や責任を持ったところで、中年のオッサンやおばさんに都合良く利用されてしまうだけだ。
役目を終えた中年に若い人が利用されることはあってはいけない。


だからと言って、あからさまに子供っぽく振舞うのは、難しい。
そこで、僕は、大人の自覚や責任がある「フリ」をして欲しい。
サラリーマンになると、大人として自覚や責任を持って仕事をしても、報われることは無い。そんなものを持っても仕事に取り組んでも、仕事とそれに伴う責任が増えるが、給与は据え置きである。
休日も増えるどころか、むしろ減る。報われる事が無いから新成人は大人の自覚や責任がある「フリ」だけしていればいい。

 

若いと仕事が出来なくても多めに見て貰える。周りも、若いから仕方が無いと許してくれることが多いと思う。
その利点を、利用して仕事の量を増やさない様にして、出来るだけ気楽に会社員を続けながら、給与を貰う。
貰った給与は全て使わず、蓄える。蓄えが増えれば、いつでも仕事を辞める事が出来ると思えるので、より気楽に仕事が出来るようになる。
ある程度の我慢は必要だけど、上司がムカついても反論出来るようになる。ストレスを発散しながら仕事が出来るようになる。蓄えが無いと、上司に反論したら会社に居づらくなると思うと、反論が出来ない。


仕事は程ほどにして、上司にムカついてもある程度の我慢はしつつ、たまに反論して、自分を守りながら企業らから労働収入を搾取する。
上司や経営者が新人も中堅になり責任の重たい仕事を任せようとするだろう。責任のある仕事をして、つらいと思うことが有れば、「会社を辞めます」と言って仕事を辞めてセミリタイヤしてしまう。


そんなことをしたら大人としての責任が無いと思うかもしれなが、当ブログの書き出しを思い出して欲しい。
成人式はそもそも、成人を祝うフリをして選挙活動している。成人式でいう、「大人として自覚や責任を持て」の本質は、都合よく使える大人になれという意味だ。
いい歳した大人は、新成人をだます気しかない。
本記事では、こうして、騙そうとしてきた人を、うまく利用しようと言っているだけだ。上手く利用して、新成人が本当に幸せな人生を歩んで欲しいと言っているだけだ。