進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

「給与は我慢料」と言う価値観は間違っている

「給与は我慢料」と言う言葉を聞いたことが有ると思う。他にも研修で「給与には期待も含んでいる」と新入社員に言っている企業も有る。
少ない給与しか払わないのに勝手に色んなものを加えないで欲しい。

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「給与は我慢料」と言われて間に受けると、ブラック企業に都合よく利用される社畜になるだけだ。
我慢して仕事をしても、ブラック企業が好きな、やりがいや成長を感じることが出来ない。自ら主張していることを否定することになる。実際のところ給与を貰っているなら辛いことが有っても我慢しろと言うことだろう。

従業員は、雇用主に雇われると無条件に尽くすことを求められることが有るが、本来は、雇用契約に従って働いて給与を貰うだけの関係である。雇用主と従業員の関係は、取引先だと考えるとわかりやすい。
具体的には雇用時間を守って、上司の指示どうりに働く代わりに、給与を貰うだけの関係である。それ以上を求めるなら、雇用契約書に書いて、それ相応の給与を払うべきだ。
「給与は我慢料」と言うなら雇用契約書に書いておくべきである。最初から、我慢量を含んだ給与を払うべきだ。
雇用契約を結んでおいて後でオプションを付けて、給与は据え置きにするなら、契約違反である。そんな企業では、真面目に働く価値が無い。
たとえば、飲食店で定食を頼んだ後、追加注文したとする。定食に追加注文も含んでいるべきだと訳の分からない主張して、追加分の料金を払わないのと同じである。飲食店であれば、こんな客は、放り出されても文句は言えない。


もし仕事が嫌なことや辛いことの我慢料だとするのが正しい理論であれば、嫌なことが増えたら給料を上げる必要が有る。
新入社員が上司のパワハラに耐えながら仕事をして、先輩社員より我慢していたとしても給与が高くなることは無い。
このことかわ分かる様に、実際には仕事で我慢したから給与が増えることは無い。この時点で我慢と給料の関係は無縁であることが分かる。
「給与は我慢料」主張は、嫌な仕事をして安い給与でも、我慢して仕事を頑張らせようとしている。こうした価値観はブラック企業にとって都合がいい価値観になっている。
みんなが我慢することで、ブラック企業は労働環境を改善せずに、従業員を確保できる。従業員に「給与は我慢料」だという価値観を受け付ければ、安い給与で使いつぶすことが出来る。ブラック企業にとって都合がいい社畜にする為に言っている。
そんなことを言うと、不満が出るから、「給与は我慢料」と言う言葉を使って誤魔化している。


「給与は我慢料」という言葉で誤魔化しても、ブラック企業にとって利益にならない。
仕事を我慢しながらしても生産性は低くなる。嫌な仕事は、その場しのぎですることが多くなる。どこかでその反動が出てきて生産性が落ちることも有る。
嫌なことをしていると自然に生産性が落ちていく。我慢して苦痛に耐えて全力で頑張るような仕事をしている人と、好きでしている仕事をしている人と比べると将来、後者の方が生産性が上がる。
好きなことをしていると自主的に、取り組んでどうすれば上達するか考えて行動するから自然と能力が上がっていく。
長い目で見ると、我慢して苦痛に耐えながら仕事を頑張ったとしても、好きで仕事をしている人に勝てない。
「給与は我慢料」と言われる職場で仕事を頑張っても無駄になる。


もし、従業員を成長させて生産性を上げたなら、「給与は我慢料」と言った価値観を押し付けて、安月給で激務をさせるより、我慢せずに仕事が出来る環境を作った方が生産性が上がる。
嫌なことが無い職場であれば、やる気を維持できる。定時帰宅できるなら、終わる時間が分かっているので、頑張る気になれる。毎日残業が有ると思うと、労働時間が長いから最初からエネルギーをセーブしながら仕事をしてしまう。
生産性を上げたなら、「給与は我慢料」と言わずに、定時帰宅できる。パワハラを無くす。家族が養えるほどの給与を払うといった当たり前のことをするだけいい。
嫌なことが無ければ、従業員は確保できるし、生産性を上げようと努力する人が増える。


「給与は我慢料」と言う価値観がある企業で仕事をしても報われることは無い。こうしたことを言う会社では劣悪な労働環境を改善する気は無く、我慢を下の立場の人に強制させて、何も改善することが無い。