進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

社会適応性はいらない

会社に行きたくないと思うのは自分に社会適応性が無いからだと悩んでいたときがあった。
これが無いことでダメ人間の烙印が押される様で嫌な思いをする人は多いはずだ。
僕以外にも社会適応性が無くて悩んでいる人がいるのでいると思う。
しかし「社会に適応する能力とは何なんだ」と考える様になってからは、こんなものは無い方が都合がいい。

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今になっては、会社で「お前は社会適応性が無い」と言われると、一般的にはダメな奴なんだと判断されるが。
僕はむしろ誉め言葉だと考えている。


入社してからの、社会適応性といえば、業務遂行する能力を指す。
遂行するには、毎日同じ作業を8時間以上こなす能力。多いときは12時間になることも有るだろう。定年まで繰り返す能力。
上司や経営者に理不尽な要求をされても耐え忍ぶ能力。体調が悪くても仕事をこなす能力、台風や猛暑日でも危険を省みず会社に行く能力。
私生活を犠牲にしてでも仕事を優先する能力。気に入らないことがあっても愚痴すら言わない。漢字が読めなくても職場の空気を読む能力。
これらの能力を身に付けるには、感情を捨てないといけない。
喜怒哀楽をもって生まれてきた人間の感情を小動物レベルに落とし込むことで得れる能力を総称して「業務遂行する能力」と呼んでいる。
この能力を持って自滅する分には構わないが、上司や先輩の立場になると、他人にまで押し付けてくるので厄介だ。


仕事を遂行する為には自己を犠牲にすることが肯定されて、今の会社では正しいとされている。
逆にこの能力が無くて働かない人が悪だとされてしまう。


会社員は「業務遂行する能力」を高める為に日々努力をしている。感情を捨てる努力をしているなんて残念でしかない。
こうした人たちは、仕事を遂行する為に私生活を犠牲にすることが当然だと考えていることが多い。「仕事なんて生活する為にしている」と言うと能力者に袋叩きにされる。
僕は、私生活を充実させるために働くと言った当たり前のことが言える世の中であって欲しいと思う。


ここで思うのが「社会適応性が無い」と言われることは誉め言葉であるということだ。
感情を持って、必要以上に我慢をせずに、好きに生きている人のことを指すのでなかと思う。
社会適応性なんて無い方がいい。


仮に社会に適応して、感情を捨て、私生活を犠牲にして会社に尽くしたとしても、報われる保障は無い。
今の時代は、仕事が無くなれば、リストラされる。給与も上がらない会社が沢山ある。
頑張過ぎて体調を崩せば、収入も途切れる。いくら尽くしても会社を辞めれば終わりだ。クビになっても終わりだ。
辞めると手元に何も残らない。


今やっている仕事はその職場独自の方法であることが多く、長年仕事をしても、使えるスキルが身につかない。
社外でも通用するなら年齢に関係なく欲しい企業が有るはずだ。
実際には、違法なので公にはされないが転職する際に年齢制限がある。恐らく、社外では使えない能力しか持っていないのに、年を取って頑固になった人は雇いたくない。


「社会適応性が無い」と悩んでいる人は、感情を捨て会社にとって都合がいい人格への矯正されかけている。感情を捨てて適応したとしても、社内でしか使えないスキルを身に付けるだけだ。
一層のこと適応力なんて持たない方が良い。無いことで、過酷な労働から自身を守り自由な生活を得る素質を持っているということだ。
むしろ、適応性が無いことは、誇りに思うべきだ。