進撃の社畜

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社会不適合者が適合者になる努力は必要か

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「社会不適合者」とレッテルを貼られると、ダメな奴だと認定されるているみたいで嫌な気分になる人が多く居ると思う。
かつては、僕もそう思っていた。
最近は「社会不適合者」と言われたとしても、「へーそうなんだ」としか思わない。社会適合者だと言われても「何か違う」気がする。
そもそも、社会適合者の方が何か障害がある気がしてならない。


社会に適合している人と言えば、学校では「上の言うことを聞く」「周りにと同じことをする」「他の人と違うことはしない」とされる。
卒業すれば「朝早くから寄る遅くまで働く」「上司やそれより上の人の言うこと反論せずに聞く」「理不尽なことを要求されても反論しない」ことが社会適合者とされる。
長時間働いて安い給与しか振り込まれなくても、不満は言わない。サービス残業など、違法行為をされても訴えることなく耐える。
私生活では結婚して子供を育てて、離婚はしない。給与が安いので質素な生活を強いられる。
こうした生活を定年まで続けることが、社会に適合しているとされる。自由が全く無い。狂気すら感じる。
社会適合者は辛い人生を歩むのだろうと思う。そもそも、社会に適応している人は殆ど居ないと思う。
「適応しているとされる人」は「社会不適合者」とレッテルを貼られることを恐れて、適応しているかの様に振舞っている。
或は、洗脳によって社会適合者になってしまっている。
怪しい宗教じゃないだから、洗脳は無いだろと思うかもしれないが、会社に入れば洗脳する為の機会が沢山あるので、不思議なことではない。
洗脳後は、安い給与でも長時間働く、仕事は辞めない、経営者にとって都合が良い労働者になる。洗脳して金儲けできるなら安いものだ。


社会不適合者と言われることが怖い余りに、自分に会わない職場に居つづけて、ストレスに耐える日々を送っているのかもしれない。
ストレスを解消するために、職場で気に入らない相手に対して自分が言われたくない社会不適合者と言ってしまう。
自称適合者が気に入らない人と言えば「職場で、気楽に働いている」「残業なんてせずに帰宅する」「待遇が悪い理由で退職する」労働当たりだろう。
誰かに対して社会不適合者と言うたびに、自身が職場から逃げれない立場になっていく。こうした人こそ心配になる。


職場などのコミュニティは自分が生きやすい環境を得る為の道具として使えば良い。
なのに、合わないコミュニティに適応しようとして苦労しているのが、社会適合者である。
本来なら、自分に合うコミュニティを探すか、そもそも集団が合わないなら個人として生きればいいだけの話だ。
無理に、あわせる必要なはない。
それなのに、義務教育や下らない社畜精神のせいで、過度に社会不適合者とレッテル貼られることを怖がる。
それを利用して、搾取されているのが、社会適合者の実態だと思う。それに納得できて、快適な生活が出来ているならそれでもいい。


社会不適業者が無理に適応して苦労するのだけは避けたい。