進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

成長と仕事が楽になるのは関係が無い

入社してすぐに仕事を辞める人に対して「仕事を始めたばかりは楽しくないが、続けているうちに成長して楽しさが分かるのに勿体無い」と言う人が居る。
こうしたことが起こる可能性は有ると思うが、成長と楽しさは別である。始めたばかりでも楽しいものは有るし、慣れても楽しめないことも有る。
僕は仕事をしだしてからそこそこ経つが、最初は上司に怒られることがあったし、我慢する機会も多いので辛い思いをしたことを覚えている。
勤続年数が長くなるにつれて、仕事が楽しいとは思わないが、楽にはなった。
「仕事で成長したか」と聞かれると「していない」と答えれる自身が有る程、業務に関する能力は伸びていない。
「入社して何年か経つと仕事の楽しさが分かる」という話を、努力して成長した成果のみに還元するのは間違いだと思う。
それなら、なんで楽に仕事が出来るか考えると、長い間同じ職場にいるからだと考えている。


新人の間は、仕事でミスをする機会が多い。それを見ていい気分になる上司は居ない。
怒られたり、再発防止方法を考えさせられるて辛い思いをする。長年同じことを繰り返していると、ミスが無くなり辛い思いをする機会も減る。
他には、会社のイベントの準備や雑用を任されるのは新人の役目だ。新人だという理由でイベントの参加は強要されるなど、我慢をする機会も減る。
下っ端の立場だと回りは先輩だけなので、みんなに気を使わないといけない。人間関係でもストレスを溜める。
新人の頃には、社蓄精神を学ぶ研修に参加する機会も多い。

何年か同じ職場に居ると、後輩が出来て雑用を変わりにこなしてくれる。先輩が減って後輩が増えてるので人間関係も楽になっていく。
参加したくないイベントには容易に断ることもできる。
新人の頃は嫌なことが多いから仕事が辛く感じる。ベテランになるにつれてそれが減っていくから楽になる。


会社に居ると「個人が成長できるら働き易くなる」と言うより「勤続年数が長くなるから働き易くなる」と言った方が正しい気がする。
新人の頃は、理不尽な扱いをされてもやり過ごすことで、時間が経つにつれて楽になる。仕事が楽しいと思う瞬間があるかもしれない。
個人の努力の結果成長したと言うより、我慢した結果楽になったという表現の方が正しいと思う。


間違えても「成長して楽しさが分かる」と勘違いしてはいけない。
会社で言う成長とは社蓄精神を学んで、給与が安くても仕事を沢山こなすことを指す。
社蓄精神とは、私生活を犠牲にして会社に尽くすことが正しい。多くの労働者が激務で潰れたとしても、会社が儲かれば報われるといったものだ。
この精神を持ちつつ薄給激務をこなすことが成長とされている。
成長したところで、仕事が楽しく感じる事は無いだろう。仕事がいっそう苦しくなるだけだ。
成長なんてしようと考えずに、可能な限り楽に仕事をして我慢も最小限にして時間が経つのを待てば楽になっていく。


我慢は無理にする必要は無いと思う。我慢していると言うことは他にもっとやりたいことが有るということだ。
時間も有限なので、会社で無理に過ごす必要は無い。我慢するにしても、ここで耐えれば将来報われると思えるときだけすればいい。
職場で我慢する場合は、先輩や上司の待遇を見て、続ける価値があると判断したときは耐えて、割に合わないと思ったときは、我慢する必要は無い。
辛いと思えば辞めた方が、楽しい人生を送れると思う。我慢しても社蓄になるだけなら辞めたほうがいい。所詮は社蓄なので、給与はしれている。


最後に仕事が楽になるのは努力した結果でなくて、長い間続けることで楽になっていく。
何でも努力や成長のお陰にするのは間違いだと思う。