進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

給与から学費を払うのはおかしくないか

社畜家計が子供の学校教育に多額のお金をつぎ込むのっておかしくないか。
学校は、労働者を育てる為の教育を受ける期間である。学校教育でトップを取ったところで、変わらない。

東大法出て、財務省に入った人を見ていると分かる。学校教育はトップで卒業して、恐らく最高峰の就職先に入っている。
その偏差値エリートでも、天下り先を必死に確保している。自力でお金が稼げない。転職も自力で出来る自身がない。
だから、必死に天下りして誰かに雇ってもらっている。
偏差値エリートは、学校教育で高い成績を収めても、お金の為に誰かの下で働く能力しか身に付かないことの証明になる。

社畜家計が子供の教育費を払うのは、労働で得た給与を、子供を労働者に育て上げる為に使う行為である。
学校教育を受けた子供は、何の疑問を持つことなく。学校を卒業したら、就職して働きつづける。
学校では、先生の言うことに盲目的に従わされて、全てが正解であるかの様にされる。教えられた通りに行動する学生が優秀とされる。

会社に入れば、先生が経営者に代わるだけである。
経営者は、自身の都合がいい価値観を先生に代わって教える。
社畜精神である。会社の為に全てを尽くすことが正しいとされ。仕事は社会貢献の為になんだから、給与が少なくてもするべき。
都合がいいことばかり、教えこまれる。学校教育を真面目に受けた人は、それが間違いでも真実でも関係なく。上から教わったことは正しいと認識する。
社畜精神を教えつけられた労働者は、安い給与で永遠に会社に尽くすために生き続ける。
本来なら、仕事なんて、労働者にとっては、生活費を稼ぐ為にしている。経営者にとっては、金儲けの手段に過ぎないがそしたことはタブーとされる。
社畜精神だけが正しい価値観とされる。
事実を教えないで、社畜精神だけを信仰するのは、従業員を安い給与で使う。会社の為に心臓を捧げさせる為である。
薄給激務で長時間労働させる目的である。

社畜的な生き方は、辛い。自由時間の多くを会社に捧げて、僅かな給与を受け取る。
不満があっても経営者には言えずに、者畜同士で不満をぶつけ合い、潰し合いをしている。
社畜家計の親も苦労しながら、少ない給与の為に働いている。生活費を差し引けば殆ど手元に残らないだろう。

僅かに残ったお金を、子供の教育費と称して社畜になる為に費やすのは、馬鹿らしいと思わないだろうか。
学校教育を受けても、行き着く先は、社畜という修羅の道である。
子供を社畜の苦労をさせるために、お金を使っているといい加減自覚するべきだろう。

どうせお金を使うなら、子供が幸せになれる様につかうべきだ。
学校教育を受けさせて、どぶにお金を捨てるくらいなら、そのお金を残して好きに使わせてあげるべきだ。
そのお金で、生活費を払って自由時間を買い取るのも手段もある。せめて、会社と言う刑務所に入るまでの執行猶予を与える効果は有りそうだ。
社畜は、お金を稼ぐ為の最終手段くらいに思っていればいい。

誰かの下で働く社畜になるために高い学費を払うのは勿体無い。苦労して得た給与を、子供が将来苦労させる為に使ってはいけない。
親自身が社畜をして苦労した経験があるなら、給与から学費を払うなんて本末転倒である。
使うなら、社畜を抜け出す為にするべきだ。