進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

会社で言われる「自主的」の意味

意識の高い経営者は「自主的に仕事をしろ」といてくる。自主的と言えば、残業も自主的にしろ。とか、仕事を任せられるときも自主的にしろなんて言われるけど、迷惑だから辞めて欲しい。
経営者は正社員であれば、自主的にするのは当然みたいな価値観が有ると思う。一方で、会社員は、家族を養える程の給与を貰えると思っている。もし自主的に仕事をしろと言うなら、家族が養えるほどの給与を払ってから言うべきだ。

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「自主的と」一番最初に言い始めたのがどこかの飲食店の経営者が「誰に店長を任すか?」という事で一番最初に動いた人間にチャンスを与えれば上手くいくとテレビで紹介していたのが始まりらしい。
会社では、これと同じことをする経営者が滅茶苦茶多い。僕の職場でも「自主的に仕事をしろ」と言われて、自主的にすると「指示道理を待ち言われたとうりに仕事をしろ」と言われる、次に指示を待っていると「自主的に取り組め」と言われ、その事で意欲がないと怒られた経験が有る。
何がしたいのか分からない。指示を出さなくても指示どうりに動いて欲しいのだろうけど、超能力が無い僕には無理だ。
仮に、自主的に働くことで仕事が効率良くできたとしても、給与が増えることも無い。
そもそも、従業員目線で見ると自主的に動くことがおかしい。自主的にしても利点は無い。本来なら雇われでしかない従業員は指示どうりに仕事をしていればそれでいいはずだ。
「自主的に」の本来の意図を分からずに真似するような経営者は間違っている。そうした経営者からは距離を取って仕事をするべきだ。自主的に仕事をしても辛くなるだけで、報われる事が無い。

 

「自主的と」一番最初に言い始めた飲食店は報酬があったからこそ動くことが出来た。
飲食店の経営者が「誰に店長を任すか?」の話になるが、一番最初にやり始めた人はキツイ仕事と責任の代価として店長としての役職と報酬が貰えるから一番に手を挙げたはずだ。
この場合は、仕事のキツさや責任のリスクが有り、店長と報酬のリターンが有る。このリスクとリターンを比較したら、リターンの方が大きいと判断したから最初に手を上げることが出来た。
経営者も、こうした判断が瞬時に判断できるて行動出来る人を店長にした人は僕も凄いと思う。
ブラック企業の経営者が嫌いな僕でも凄いと思った位なので、他の人も凄いと感じたはずだ。

しかし、こうしたリスクとリターンのことを全く考慮せずに、ただ単に自主的に仕事をさせようとする経営者は、形だけをマネするだけの劣化コピー版になってしまう。
リターンが有ってこそ、自主的に仕事が出来る。

ただ単に自主的に仕事に取り組めと言っている劣化コピー版の経営者が自主的にやれと言われても、自主的に仕事をやる従業員は居ない。
飲食店の経営者が「誰に店長を任すか?」の状況と違って仕事に対しての報酬がまったくないし、出世することも無い。特にワンマン経営の会社では身内以外の従業員は社長に駆ることが無い。最初からどこかで左遷されることが決まっている。
金銭的報酬も増えないし、社会的地位が高まる訳でもない。

そんな状態で、自主的に仕事をしても、仕事の量は増える、それに伴い責任は増える。仕事には納期が有るので、仕事が増える程仕事が忙しくなっていく。
給与は据え置きで、仕事が大して面白くないと思う人にとってはリスクしかない。そうなると、飲食店の経営者の話では、ハイリスク・ハイリターンなのに対してハイリスク・ノーリターンでしか無い。

給与が据え置きの会社では、自主的に仕事をすると経営者が喜ぶだけで、やる気が有ると思われるとより多くの仕事が任せられる。その中には無理難題なものも含まれているかもしれない。
ノーリターンどころかマイナスリターンの可能性も出てくる。
もし、ストレスで体調を崩したとしても自主的にしたので自己責任になる。本当に給与が据え置きだと自主的に仕事をしても報われない。

リスク以上のリターンが見込めるなら自主的に仕事をする価値が有る。リターンが無いと、自主的に仕事をする必要は全くない。むしろ消極的に仕事をすることが正解になる。
給与が上がらないのに自主的に仕事をしろと言うのは、「やりがい搾取」と似ているものを感じる。


形だけ真似て中身が無く、本来の意図が分かってないような経営者は頭が弱いことが多い。
自主的に仕事をさせることで、経営者が自己満足したり、理不尽や負担を強いることで安く仕事をさせていだけだ。

自主的にやらせよとしてくる経営者の元では、むしろ自主的に仕事を断るべきだ。
仕事をするにしても、給与分にとどめておこう。