進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

少ない貯蓄でも大丈夫かもれない

新型コロナショックで仕事が減って、明日の生活にも不安を感じる人が居る。
僅か1から2ヶ月分の生活費を貯めていない本人の自業自得でもあるとも思える。
世間では生活困窮者に対する自己責任論が少ないようにも感じられる。一方で、政府の感染症に対する対策の遅れや、感染者の軽率な行動に対しては非難が殺到している。
感染者の軽率な行動を非難する行為は、生活困窮者を増やす行為でもある。
間接的に生活困窮者を苦しめているから、自己責任論が出ないのかもしれない。

影響力のある経営者や作家も、同情している。
賃料の支払いやローンの返済を待ってもらえたらいい。
コロナショックが収束しても、みんなが貯蓄を始めると、経済が回らない。
と言った意見も出ている。

経営者からすると、無貯金だと働かないといけない人が増えて、労働力の確保が容易だ。
作家からすると自身の本の売上が下がるから、無貯金で居て欲しい。
裏ではこうした考えがあるのかもしれないが、影響力のある人も、無貯金で生活に困っている人に同情的である。

浪費して無貯金で生活困窮しても責められないで、お金に困れば誰かに助けて貰える流れになっていくと思う。
非難されないと助けて貰えない生活困窮者が援助を要求しやすい社会にもなっていく筈で、貯蓄が無くて生活に困っている人に対して優しい社会になる。
そうなれば、貯蓄は大した額が無くても、困ることが無い。

他に経済的に余裕のある人も、無貯金でお金を使う人が居るから、高所得を得れる人が居る。誰かの支出は誰かの収入になる。
借金してまで使う人が居るから、資産が有る人が増える。
銀行預金を持っている人が居るが、銀行は預金を預かって誰にも貸さないと潰れてしまう。銀行は、誰かに貸し付けるから預金を預かることが出来る。
経済的に余裕のある人も、生活困窮者に対して優しいのでないかと思う。

世間の生活困窮者に対しての反応を見ていると、多額の貯蓄は必要ないのでないかと思う。
貯蓄の中央値辺りまで持っていれば、困らないのでないだろうか。
経済が落ち込んだときは、影響力のある人が、生活困難者に救済を呼びかける。
経済の落ち込み具合によるが、困った人は、救済を求める。落ち込み具合が酷いほど、生活困難者が出る。
ここで、貯蓄の中央値辺りまで持っている目的は、自分が困る頃には、過半数が困っていることになる。
過半数の生活困難者が救済を求めれば、何かしろの処置は行われる。
貯蓄の中央地辺りまで有れば、容易には生活に困らない社会になると思う。

未だに世間では、出来るだけいい学歴を得て就職して、必死に働いて、高い給与を得て多額の貯蓄がある方がいいと思われているかもしれない。
高所得を得てしまうと税金は高い。貯金すると使えない。救済処置が受けれない可能性も高い。世間で正しいとされえる生き方は辛いだけで、報われない。
程々に働いて、貯蓄も中央値以上は持たない。それ以上は使ってしまうか、稼がない。
生活に困ることがあれば、救済処置に便る生き方がいいのでないかと思う。
世間は、生活困窮者には優しい。
一方で、世間で正しいとされる生き方に政治家や官僚は当てはまる。彼らも必死にやっているはずなのに非難の嵐だ。
僕は、程々に働いて非難されない方がいい。