進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

従業員が生産性を上げる必要無し

定期的に、従業員によって生産性を上げた成果を発表させられる機会がある。
発表した本人がどんだけ素晴らしい成果を出ても、経営者様から「よくやった」の一言を貰って終わりだ。
給与が上がることも無ければ、職場の環境が改善されることもない。
経済的な利点が無いならせめて、生産性を上げた分の休みが増えても良さそうなもんだが、むしろ休みは減る。
いい成果を出したなら、次はもっと、いい成果を出す為に仕事に励まないといけない。その結果、多くの仕事を振られて、労働時間が延びる。
経営者様は給与は上げるのは苦だが、仕事を増やす事は得意だ。そもそも、経営者は「仕事を振られることがご褒美だと思え」と従業員に言って、裏でゆっくり休んでいる。
成果を出せば、利益が出る。その利益は、経営者様が独占して、仕事だけが従業員に振られる。
従順に仕事をしている間は、利益が従業員に還元されることはない。仕事が増えつづけるだけだろう。最終的に自動化が進んで、従業員が不要になれば、解雇される。
必死に働いた結果、経営者が望む完全自動化が達成された暁には、従業員は解雇されて、無職になる。悲しい未来しか見えない。
従業員は優秀で、会社のために必死に尽くしたとしても、経営者以上に成功することはない。仮に経営者が無能で努力をしないとしてもだ。

成果が出なかったときだけ、従業員はどやされて、先生に怒られる小学生みたいになっている。
従業員目線で見ると、成果が出ても仕事が増えるだけなら、成果を出さない方が得である。人は損を嫌う生き物なので、成果を出すほど損をするなら、出したくない。
本能にしたがって行動すると、どやされる。発表をする人はストレスが溜まるだけの損な役回りでしかない。
利益が出たら、全て自分のものになる経営者は、発表の成果をぼんやり聞いているだけで、自分は発表する事は無い。
生産性を上げていない経営者は、ダメだしするか、いい発表に対して一言誉めるだけである。

本来なら、利益が出たら得する人が、発表して、利益が得れない人が聞くだけで、発表が下らないとダメだしする立場でいいはずだ。
なぜか、職場では、立場が入れ替わっている。
一番利益が得れる人が楽な立ち位置で、得れない人が一番辛い立ち位置にいる。
いい加減、発表する人も反論するべきだろう。成果が出ても利益が得れないなら、成果を出す努力なんてしないでもいい。
みんなが、おかしな点に気がついて、反論したり、行動を起こさないから、いつまでも舐められて、損な役回りを押し付けられる。

成果を出して欲しいなら、経営者が自ら経営努力でこれだけ利益を出した。
その利益を、生産性を上げた従業員に還元する仕組みを作る配慮が無いと、生産性を上げる価値が無い。安い給与で働きつづけて、最後には解雇される未来しかない。
生産性が上がったなら給与が上がる仕組みが無いなら、努力する価値が無い。
給与が上がらない職場では、得をする経営者だけが、努力すればいい。
とわ言っても、発表をさせられることもある。そんな時は、発表資料はでっち上げで、実際にやっていないことを発表する。
でっち上げの資料を複数作って使い回ししていればいい。経営者も真面目に聞いていないからばれないはずだ。
もし、でっち上げがばれたとしても「資料でっち上げドッキリでした」とても言えばいい。
資料使い回しがばれても「ドッキリでした」と言えば笑って終わりだろう。
経営者も従業員が生産性を上げても給与が上がらないドッキリを仕掛けているのだから、お互い様だ。