進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

働かないアリも重要

以前に「アリとキリギリス」の話を聞いたことがある。アリは夏の間働いて餌をためて、キリギリスは、歌ばっかり歌っていた。
冬になるとアリは、蓄えた餌で生活して、キリギリスはアリに助を求めたが「夏は歌っていたなら冬は踊ればいい」と言われ助けてもらえずに、飢え死にしたと言うものだ。
この話にあるようにアリは、働き者のイメージがあるが、しかし、必ずしもアリは働き者ばかりというわけでなく、ほとんど働かずに一生を終えるアリもいるそうだ。


アリには一体一体に仕事に対する腰の軽さの個体差がある。この個体差を反応閾値と呼ぶ。例えば、蟻の巣にエサを溜めていたとすると、そのエサの量をみて「これじゃ全然足りない」と思うアリから「十分にある」と思うアリがいる。
どのくらい量のエサがあるかで、エサを集めに行こうかと思うかと言うラインが反応閾値である。この反応閾値が高いとほとんど働かないようになり、低いほど働く様になる。働かないアリは反応閾値がとても高い。
ここで、思うのは反応閾値の高いアリに存在意義などあるのか。
反応閾値に多様性を持たせて、働き物から怠け者がいる組織より、反応閾値が低い働きものだけがいる組織の方が、全員で同時に仕事に取り掛かる方が、効率よく仕事を終えることが出来ると思える。
しかし、全員で頑張って即座に仕事をする方法が必ずしも組織を存続させるために有利だと思えない。この方法だとエサのある場所が分かっている場合のみ効率よくエサを集めることが出来る。エサのある場所が分からない場合は、働きアリばかりいても役に立たない。
このエサの場所は、どのようにして見つけるのだろうか。
エサの場所は、働きアリより働かないアリが見つけることが多いようだ。働かずにその辺をうろうろしている間に見つけるんだろうと思う。
働かないアリがエサの場所を見つけて、働きアリが集めることで、組織を存続させていると考えられる。
働きアリだけの組織だと、エサを集める効率はいいが、集めるエサが無くなると、次のエサの場所が見つけられないから組織を存続させられない。


今の日本の会社は、怠け者を排除して働き者ばかりを集めようとしていると思う。働きものばかりの会社は、仕事があるうちは効率よく稼ぐことが出来るが、その仕事が無くなったら次の仕事を見つけることが出来ずに衰退していくのではないだろうか。
日本の会社は、多様性を持つことを許容していくことが大切だと思う。この多様性を持たすと一見効率が落ちるように思えるかもしれないが組織を長く存続させるために重要なものになるはずだ。
しかし、今の会社では、やる気があって毎日、遅くまで仕事をすることが絶対に正しいという価値観があって、怠け者や定時帰宅をする人を許さない組織が多いと思う。
結果的に、怠け者や定時帰宅したいしとでもやる気があり、残業をする人に合わせて仕事をしている。
このような、やり方でいつまで組織を存続させれるのだろうか考えてしまう。早く、アリのような多様性が認めれられる組織になって欲しい。


あと、最近は仕事にやる気が出ない人でも転職して成功する人や、会社を辞めて独立して成功している人をよく見かける。一つの会社で働くことだけが必ず豊かになる方法でないんだろうな。
だから、「アリとキリギリス」の話を、今風にすると、アリは夏の間働いて餌をためて、キリギリスは、歌ばっかり歌っていた。冬になるとアリは、蓄えた餌で生活して、キリギリスは、歌で儲けたお金でハワイに高跳びしたとなってもいい。