進撃の社畜

ブラック企業を全て駆逐してやる

社畜とは分かり合えない

社畜は給与が安くても必死に仕事をしないといけないと考えている。
考えているだけならいいが、他人にも強要するのが理解でない。自分の信念が有るなら、従って行動することは素晴らしいことだと思う。そうしていれば、他人の行動なんて気にもならない。
他人にも強要しているのは、自主的に必死に働いているのではなくて、他人によって植え付けられた価値観に従っているだけでないかと思う。
僕は勿体ない時間の使い方だと思うがそれでもいいと思う。自分の時間だから好きに使えばいい。他人に植え付けれられた価値観に沿って行動することに対しても何とも思わない。
ただ、自分以外の人にも強要するのは辞めて欲しい。迷惑でしかない。
他人にコントロールされているだけの、社畜に他人の気持ちを動かす能力は無い。社畜にさせる為に何をしても、他人を動かすことはできない。精々、社畜になって経営者を儲けさせる以上のことは出来ない。
薄給長時間労働をさせることを強要されても迷惑なだけだ。


労働なんてそれぞれの価値観でやればいい。
社畜にとって仕事は、世の中にとって必要とされていると思い込んでいるが、それも経営者にとって植え付けられた価値観である。
現代では、ものやサービスが溢れている。製造業だと作っている製品が常に溢れている。どこの店舗も差別化したり安く売ったりして必死に在庫を売ろうとしている。
中古市場を見ても、沢山ある。製造業の会社が潰れても他の同業者が代わりに生産している。
サービスも溢れているので潰れる店が沢山ある。潰れたとしてもまた次の店が出来て潰れてと、サービスも溢れている。
溢れた仕事をしているに過ぎない。

やらなくていい仕事が有る上に、自動化される仕事もある。
人が安い給与でやるから自動化が進まない。例えば、ものを売る仕事はネット通販に置き換われば、販売店で接客する人は居なくなる。
客が勝手に製品を調べて買うので、店員は発注が有る商品を発送するだけの仕事になるのでかなりの業務は省略できる。
スーパーのレジ打ちも自動化が進む。自動化が難しいとしても、客がやればいいだけの話だ。にも拘わらず、自分の仕事が大事だと思い込んでいるのは、経営者に価値観を植え付けられているからだ。
薄給激務でも必要な仕事をしているから仕方ないという発想になる。経営者にとって都合がいい。
仕事は何のためにしているのかと言うと、経営者を儲けさせて分けまいを貰う。その分け前はどうして決めているのかと言うと、仕事を通じてお金の再分配をしている。
こう考えると、給与のつじつまが合う。


仕事内容で給与が決まるなら、働かないおじさんより、仕事が出来る若手の方が給与がたかいはずだ。実際にはそうなっていない。
ワンマン企業なら、仕事が出来なくても身内は出世して高い給与を受け取っている。
仕事を利用してお金の再分配をしていると考えれば辻褄が合う。
結局のところ仕事なんて、経営者を儲けさせる。お金の再分配をする為にしている。
経営者は金持ちが多いので、これ以上儲けても贅沢するだけだ。儲けさせる為に働く必要はない。
そうなると、仕事の目的はお金の再分配をする為にしているとなる。


お金の再分配の為に必死に働く価値は無いと思う。再分配は仕事内容や量と言うより勤続年数に応じてお上がる。
必死に働いても、サボっていても、給与は変わらない。労働者目線ではサボった方が得だ。
お金の再分配する為にしているに過ぎない労働に必死になったても意味が無い。気楽にした方が得するのに理解できない。
勝手に会社の為に尽くして辛い思いをしているならいいが、他人にも強要するから迷惑出来ない。損することを強要されても、やりたいと思う人は居ない。


薄給の仕事は必要とされていない上に、自動化できるものもある。そんな仕事が世の中に必要だと勘違いして、必死に働いて、他人にも同じ働きを強要するが社畜だ。
僕は社畜とは分かり合えないと思う。